そこに立ちながら、この建築作品は、その上で荒れ狂う嵐に耐え、そのようにしてはじめて嵐そのものをその威力において示す。

岩石の光沢と光輝とは、それ自体ただ太陽の恩恵によるとしか見えないが、実は昼の明るさ、天空の広さ、夜の闇をはじめて輝き-現れることへともたらす。

このように確然とそびえることは大気という眼に見えない空間見えるようにする。

作品の不動なることが、海の波浪の波立ちに対して張り出し、その静けさからして海の荒れ狂いを出現させる。


ある人が書いた論考をここで紹介したい。

彼岸と此岸 
人間と建築の間合いについての省察


1 この論考は現代の自然の中に溶けてしまったり、全く存在感を消し去った建物と古代の諸神殿建築との間に一つの線を引くことを試みた。もっとも、偉大な先人たちがモダニズムは歴史から切り離したものというふうに提唱してしまったがため、全く先が見えないという現状がある。もし、この論が全く成功してしまったら、古代、中世、近世と、歴史を逸脱しようとしたモダニズムとそれ以降の諸様式がある一つの通徹した概念のもと時に静かに、時には大声で吠えながら踊り狂っていただけだったことが示されることになる。建築との間合いの取り方(距離、いわゆるメディア)が建築の形態に影響し、利用されていた事実を示しながら、一切が五里霧中の現代建築の行く先を導きたい。




2 ユングが著した「自我と無意識」という本がある。この本の題名は自我と無意識とあり、言葉通り自我、と、無意識とのあいだを明確に定義しようとしたユング心理学の入門書であることは広く知られている。デカルトの言葉の、「我思うゆえに我あり」はまさにこの自我が存在する故に我は存在するのだということを教えてくれる。しかし、鷲田清一が語るように、ペン先から滲み出るような自我の存在も認めまいわけにはいかない。往々にして想像通りにペン先をうまいこと操縦することなどできないだろう。意識的に何かを描き出そうとしても、そこにはぬぐい難い手癖があり、無意識が存在している。そうであるから、自我と無意識は共存しているし、それらは状況によってお互いの距離を推し量り、近接する。ただここではAとBの関係ではあるが、AとBは個別に切り離せるものではないことを注意してもらいたい。


 厳密にいえば、自我と無意識が個別に存在する概念でないのと同じように、人間と建築という概念は個別に存在しなかった。自我と無意識が身体を媒体にしているように、人間と建築は身体を媒体にして互いの距離を決定づける。


 さてここでまた話を哲学に戻すと、初期ルネッサンスの哲学者のクザーヌスはこう言ったことを思い出して欲しい。「神は超越的存在であり、極大でもある一方で極小的存在である。(意訳)」、これは極大と極小の一致、反対の一致の存在を言っている。この奇妙な話は地と図の関係に置き換えると非常に理解しやすくなる。意識の極小を白い地とし、意識の極大を黒い図とすると、いずれも同一の輪郭を指し示すことが明らかになるだろう。このことはユングの精神病の患者の例を取っても同じことが言える。ユングは、無意識を意識化し、同化していく過程において、見苦しいほど高揚した自己意識を抱いてしまう人々が多い、と指摘する。彼らにはふた通りのタイプがあり、一方では無意識に関して医師よりも知っているという驕った態度を取る人たち、一方でそれとは逆に、意気沮喪してしまう人々である。意気沮喪してしまうような人々は、無意識の内容に圧倒されることにより自我感情が弱まっていくのである。クザーヌスに遅れること3世紀、アドラーはこの事例と神とが類似していると指摘していて、ユングはその指摘を認めている。極大と極小の一致の現象がここにも認められる。


 他分野の性質を建築に持ち込むことは本来的意味において危険を伴うことはよく知られているが、この性質は建築にも認められないだろうか。自我と無意識≒人間と建築という仮説を立ててみる。




3 さて、こういった経験はないだろうか、建築の全てが何かに埋まってしまい、自分の位置と外の位置が関係付けられない、一切が外との関係から切り離されてしまった時だ。この例は、主に建築の内部で認められる事象ではあるが、実はこのような認知論が、建築の表皮を貫通して内外に振動していたのだ。逆の例はマンハッタンに認められる事象である。ここでは摩天楼に接して歩道があるため、なかなか意識的に見上げないと目的の建築を通り過ぎてしまう。建築と人間が近接した時に見られる不可視という事象だが、ここが面白いのが、遠く、ある程度高さある場所から観覧すればすべての建築を認識できるという両義性にある。この引き裂かれた認知論とはいかなるものなのか。この認知論を「人間と建築 距離論」と呼び、そこにある間合い(メディア)(媒体の作用と採用)を建築の通史を通して証明したい。





4 先に示したように、建築の共有する最たる問題は距離である。すべてを網羅することは紙面の制約上かなわないので、ここではあらゆる時代の傑作を例に説明したい。


 古代エジプトから古代ギリシャの建築は、民衆のものではなかった。そうであるから、神殿はしばしば人の住まない場所に、その完璧な形態を誇示するかのように焦ったいくらいの長いアプローチを持つ。建築と人間との距離が十二分に取られていた時代である。この時代の最高傑作、ギリシャパルテノン神殿は、入り口であるプロピュライアから45°振られて配置され、そこからは側面側の列柱がスクリーンに見えるように工夫されている。これ以上ここで詳しい説明をすることは避けるが、内部で礼拝する空間はなく、外に祭壇が設けられていたことからこの建築は外部からの、人から遠い距離の建築だと言える。
f:id:llllllllIlllII1:20170624190201j:image



 古代ローマ時代と聞くとパンテオンを思い出す人は多いだろう。前庭の中央にオベリスクが鎮座してて外観の視線を遮る。ポルティコが超スケールで配置され、内部に内接する43.8mの球の空間に人々は圧倒される。ある程度遠くから認知できるがオベリスクが箍をはめるように接近を余儀なくされる。実用を旨とする公共建築が数多く建てられたこの時代は古代ギリシャと比べると内部空間の装飾やゾーニングが巧みである。
f:id:llllllllIlllII1:20170624190208j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190237j:image



 初期キリスト建築、ビザンチン建築をピークに主題は内部へと移り、キリスト教にふさわしい内部空間をバシリカと集中堂式を合成したものに求めた。その後は、プレロマネスクのル・トルネ修道院を参照すれば明らかであるが、一度内部に意識が集中し、建築は自然の中へと調和するように溶けていく。そして、これの酒蔵に川が貫入していていることも示唆に富む。これは全く自然の中にあり、長らく発見されなかった廃墟であったが、古代とは対照的に接近しなければ、いや、内部に入らなければ把握しえなかった。人里から離れた山奥のさらに奥の谷間に建築されたそれは、発見された当初、周りには覆い隠すように樹木が茂っていた。
f:id:llllllllIlllII1:20170624190249j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190255j:image



 ゴシック以降の中世には建築が街の中に出現する、カテドラルである。ゴシック建築の王、アミアン大聖堂はその眼前にその高さと等しいほどの広場を備えている。フライングバットレスは、構造体を外部に転嫁し、内皮が全くのカーテンウォールになっており、ありあまる水のような光が注いでいる。束ね柱は尖塔ヴォールドの頂点まで連続しており、森林の中にいるような錯覚を与える。ゴート族らを懐柔するために、彼らの森の神話をキリスト教にすり替えたのはいうまでもない。尖塔により輪郭はよどみ、外形線を持たない建築と呼ばれている。ここでも尚内部が孤立し、内部に入らない限りその異様な空間を体験できないが、街のアイコンとしての西側正面ファサードの広場が視線を外側に引っ張り出そうとしている。しかし、司教座聖堂(カテドラル)として、街のアイコンを提示する以上に大きな意味はないままにとどまっている。
f:id:llllllllIlllII1:20170624190315j:image



 ルネサンスマニエリスムは表皮に集中した輝かしい時代である。スケールを変えたペデイメントを重層させ、同一面の中のはるか遠くにもう一つのファサードが存在させ、浅さの中に深さを与えることをしている。同じことは角柱と円柱の採用のされ方にも現れ、深さを出したい場合には円柱、浅さを出したいときは角柱をつけ柱として使った。その代わりに、リブは忘却され、内部は簡素にまとめられ、意識は一気に外部に集中する。外観は非常なマッシブな操作が行われ、サンタンドレア教会堂の端部のマッスなジャイアントオーダーの角柱はこの時代に現れた。この時代は動乱の時代で、フランス軍によりローマが陥落し、危機感を抱いたカトリックが己の権威を表徴するための建築を纏おうとした背景がある。
f:id:llllllllIlllII1:20170624190335j:image



 優雅に波立つ凹凸のコニースが張り出す。そのリズムが交互にスタックされたバロックは引き裂かれた認知論を体現している。その点で、サンティーヴォ・アッラ・サピエンツァ教会はこの時代の最高傑作であろう。サンカルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂は鉛直方向に三段階、違う光の入れ方をし、精緻な天井装飾によって彼岸を体現した。ここでは違うリズムで鉛直方向に奏でて彼岸を作ったが、水平方向の引裂きはファサードに貫通する4本の柱によって箍をはめられたように引きとめられている。それが、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会で貫通する柱を突き破ってGLフロアが街に突き出し、街を劇場化し、サンティーヴォ・アッラ・サピエンツァ教会で弦のように内部方向に思いっきり反動として貫入し中庭を作った。とりあえず鉛直方向は内部的操作、水平方向は外部的操作と分類できるが、内部と外部の乖離は著しい。建築史家はしばしばファサードの装飾的オーダーをバロック的であると評価するがバロックの内部も見逃せるものではないのだ。引き裂かれた認知論的建築とはいえ、この後すぐに栄える風景画のように、空気遠近法的揺さぶりは概して間合いが取られている状況を示しているし、さしずめ古代ローマのようである。精緻な幾何学的法則の中にわずかな人間性、微動性があるギリシャルネサンスが引き継いでいたとすれば、バロック古代ローマのように巧みに人間を揺さぶる劇的建築であろう。ここに時代の反復が見られる。
f:id:llllllllIlllII1:20170624190409j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190418j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190427j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190449j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190356j:image



 その流れをロココ新古典主義は分担し、対極の極点にまで進む。内装に徹する王宮建築、自然と対話しながら、景色を取り込み、モニュメンタリティーを誇示するように距離をとって現前する巨大建築。まるでひと里離れた、しかし、超接近的な初期キリスト建築のようではないだろうか?
f:id:llllllllIlllII1:20170624190509j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190517j:image




5 皮肉にも、歴史から脱却するスローガンを掲げた近代は幾何学的なマッス….オブジェクトを強調するために古代と同じ手法を用い、長いアプローチから姿を誇示し、ピロティーで持ち上げ、オブジェクトを強調したり、基壇を密かに引用しその上のマッスを意識させた。それは、建築を商品にする使命を果たすのに必要な表現だったのだ。(言葉通り、建築を流通可能な商品にするためには土地から切り離し、純粋形態を表現する必要があった。)実にルネッサンス的である。
f:id:llllllllIlllII1:20170624190535j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190549j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190602j:imagef:id:llllllllIlllII1:20170624190618j:image



 ポストモダニズムマニエリスム的で、そのオブジェクトを解体しようと試み、あらゆる象徴、記号を引用し、純粋形態からカオスに展開しようと試みたが、ある問題に行き着いた。それこそが距離である。イオニア式の柱頭や装飾、象徴をバラバラに撒いたところで、視線はそれぞれの要素に惹きつけられ、そこがオブジェクトとして成立してしまう矛盾を孕んでしまうのだ。
f:id:llllllllIlllII1:20170624190629j:image



 戦後ある程度の休息の後、急激に内部に意識が手繰り寄せられる。隈研吾の、亀老山展望台は姿を消す建築の明確なビジョンを示し、安藤忠雄地中美術館、などの現代建築の傑作へと続いていく。ポストモダニズムの終焉を契機に、良質な建築は一気に人間へと急接近した。民主的な雰囲気は建築に内部を欲するのだろうか。よく言われる圧迫感のない人に優しい建築はこのことを指している。しかし、造形を誇示する建築も一方ではあり、この混沌とした状況がバロック的であると評するのはいささか単純すぎではないだろうか?
f:id:llllllllIlllII1:20170624190642j:image



 しかし、近年再び世界情勢の不安感がトランプを代表にしたナショナリズムを引き起こした。キリスト教イスラム教世界観の避け難い衝突で、世界中が見えない動乱に巻き込まれている。ランドスケープと象徴性、アクテビティーとミニマムなインテリア。まさに二つの潮流が現代を占めているではないか….



"孤児たちのお年玉"  アルチュール・ランボー 1869年末


室内は黒々とした影におおわれ、二人の子供の悲しげなやさしいひそひそ話しがかすかに響いてくる。

その頭は、
はためき持ち上がる白く長いカーテンに隠れていまだ夢に耽って重く鈍く傾いでいる…

戸外では鳥たちが寒そうに身を寄せ合っている。

大空の灰色の色調のもとでその翼もこごえている。

〈新年〉は霧をお供に引き連れて、
雪のドレスの襞を引き摺るままに、
涙とともに微笑み、
それから鈴のように鳴りなが歌う…




さて、
幼子たちは翻るカーテンの影で、
人々が暗い夜にするように小声でお喋りしている。

子供たちは物思いに耽って、
遠いつぶやきのように耳を澄ます…

球形のガラス器の中で何度も何度も金属性のリフレインを鳴らせる朝の呼鈴の澄み切った金色の音色にも時おりびくっとして…

その上、部屋は凍りついている…

ベッドの周りの床には喪服がばらばらになって散らかっている。

戸口で嘆き哀しむ冬の厳しい北風は家の中に陰鬱な息を吹きかける!

こうしたすべてには何かが欠けているのが感じられる…

それではこの幼子たちには母親がいないのか、
涼しげな笑みをたたえた、
勝ち誇った眼差しをした母親が?

ならば彼女は忘れたのだ、
夜、
ただ一人、
許して、
と泣き叫びながら幼子たちのもとを去る前に、
身をかがめてかき集めた灰に焔をかきたてたり、
幼子たちに暖かい衣服や羽根布団をかけてあげることを。

彼女は朝方の寒さを予想して、冬の北風に対して戸口を堅く閉めておきはしなかったのか?

母親らしい夢とは、
心地よい絨毯である、
枝々に揺すられる美しい鳥たちのごとく子供たちがうずくまって白い幻影にみちた甘い眠りをむさぼる綿に覆われた巣なのである!…

だから、あそこは 

子供たちが凍え、
眠ることもできずに怯えている、
羽毛も温かさもない巣のようなところなのだ。

厳しい北風に凍ってしまっている鳥の巣だ。




あなたは納得されたでしょう。

この子たちには母親がいない。

家にはもう母親はいないのだ!

 その上、父親もとても遠いところにいる!…

一人の老いた家政婦が、それゆえ子供らを看ているのだ。

凍った家に子供たちが二人っきりでいるのである。

四歳の孤児たち、
この子たちの心の中には楽しき思い出が次第に呼び覚まされる…

さながら祈りながらつまぐる数珠玉のようだ。

ああ!
なんと幸せな朝だったことか、
あのお年玉の朝は!

どの子も夜の間にそれぞれのお年玉の夢を見た不思議な夢の中で、
たくさんのおもちゃや、
金色の衣に包まれたボンボンや、
きらめく宝石の類が、渦を巻き、
鳴り響くダンスを踊るのを、
それからカーテンの下に隠れたと思ったら、
ふたたび現れる!

朝に目覚め、
嬉々として起き上がった、
空腹を感じ、
目をこすりながら…

頭の髪は乱れもつれたままに、
子供たちは、
待ちに待った祭りの日々に臨むように目をきらきらと喜びに輝かせ、
いとけない素足はふわふわと床を飛ぶように、
両親の部屋の扉にそおっと触れに行くのだった…
とうとう入った!…
それから、おめでとうを交わしている…
シャツ一枚で、
何度も何度も接吻し合い、
それからあたう限り大はしゃぎ!




ああ!
魅力的な時であった、
何度となく言われてきたこの言葉!

けれども、
それが変わってしまったので、
かつての住まいが。

暖炉には明るい火がばちばちと勢いよく踊り、
古びた室内がすみずみまで照らされる。

炉床から漏れ出した真っ赤な光の反映はニスの塗られた家具の上で好んでくるくると回っていた…
戸棚には鍵がかかっていなかった!…

鍵がかかっていない、大戸棚には!

褐色と黒色のその扉をよくながめたものだ…

鍵がかかっていないなんて!… 

妙なことだ!…

木でできた横腹と横腹の間に眠る秘密を何度も何度も夢に見ていた、
そうして大きく口を開けた鍵穴の奥には、
遠くの物音、
漠とした陽気なささやきが聞こえるものと思っていた…

今では、両親の部屋は空っぽだ。

扉の下から漏れてくる赤い反映もきらきら光りもしないのだ。

両親もいないし、
火の気もなければ、
鍵が使われることもない。

だから、
接吻もしてもらえないし、
優しい贈り物ももらえない!

この子たちにとって、元旦はどれほど哀しいものになることだろう!

それから、
じっと物思いに耽った様子で、
大きな碧い眼より一粒の悲痛の涙を静かにしたたらせこの子らはつぶやくのだ。

「じゃあ、おかあさんはいつ帰ってくるの?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今は、この子らは悲しげにまどろんでいる。
この子たちを見たら、
眠りながら泣いているようではないか、
瞼はあんなに腫れあがって、
息遣いも苦しげなこと!
幼な子たちの心はどれほど感じやすいことか!

けれども、
揺りかごの天使が子供たちの眼を拭いに来てくれる、
そうして、
この重き眠りの中に楽しい夢をもたらしてくれる、
実に楽しい夢であって、
半ば結んだその唇は、
微笑みながら、
何かつぶやいている様子であった…

子供らは小さな丸っこい腕に頭をもたせかけ、心地よい目覚めの仕草を夢見ている、
頭を前に突き出し、
その空ろな眼差しはあたりにぐるりと注がれ…薔薇色の天国で眠っていると思っている…
あかあかと輝く暖炉では焔が陽気に歌っている…
窓の彼方には晴れ渡った青空がのぞいている。

自然は眠りより覚め、
太陽光線は酔っている…

半ば剥き出しになっていた大地は復活を喜び、太陽の接吻をしたたかに受け歓喜に震えている…

そうして古びた家の中はどこもぽかぽかと暖かくあかあかと輝いている。

もう床には暗い色の衣服が散らばっていることもなく、
北風はとうとう戸口で静まり返る…

妖精が一人、ここをすうっと通ったみたいだ!

子供らは、
実に楽しげに、
小さな叫びを放ったのだった…

ほら、
おかあさんの寝台のそば、
薔薇色の美しい光線の下を、
ほら、
大きな絨毯の上で、
何かがきらきら輝いている…

それはきらめく反射光に浮かんだ銀色や、
黒や白の、
螺鈿や黒玉のメダイヨンだよ。

それは黒い小さな枠に囲まれ、
ガラスの花環をのせ、
「お母さまへ!」
の金色の三文字が彫られている。

 「マドレーヌ フォン·ブローグリー侯爵夫人に」

そうだ 私たちはいるのだ けれども私たちにとって日々が速かに

まぼろしとともに過ぎ去ってゆくのは ほとんど羊の群にとってと変りがない

私たちもまた牧場がたそがれる度毎に

帰ってゆくことを望んでいるのに 誰も私たちを小屋へ追い込んでくれる者がない



私たちは昼も夜も いつまでも外に残っている

日光は私たちに快く 雨は私たちを驚かす 

私たちは起ち上ったり身を横たえたり

いくらか勇気をもったり 臆病になったりしている



ただ時おり 私たちがこのように苦しみ悩んで 熟れながら

それでほとんど死にはてようとすると そんなとき

私たちが理解できないすべてのもののなかから

ひとつの顔が生まれ それが輝かしく私たちを見つめている


An die Frau Prinzessin Madeleine von Broglie

リルケ 1906-1909年の詩


新宿駅の巨大ターミナル、

仮に、

目の前の誰かが他の誰かに入れ替わってたとしても、

僕らは決して驚きはしないだろう。




目の前にいるのは

明らかに個人の人であるけれども、

同時に目の前の人という匿名でもあるから。



一月はテストに追われ
二月は鬱で寝るかご飯食べるかしかしていなく
三月は目を覚ました動物のように毎日引越しのバイトをして、貯めた30万でスペインとポルトガルに行き
四月は初めてまともな設計課題でとりあえず手だけを動かし
五月は少しは報われ
六月は難題にぶち当たり、つまらなくなり
七月は当然の結果を受け入れ
八月は南国でバブルを目の当たりにしながら毎日設計をして
九月はそろそろ慣れてきコアの配置にが楽しくなり
十月は自分の根本と向き合うことになり
十一月は理解しているのかしていないのかよくわからない怪物を生み出し
十二月はまた寝てしまいそうだ、

みんな鬱を持っているというし、少しは頑張りたい

ユニバー



どこにでもある場所とどこにもいない私









影がなくなった










あなたがそこの大地から芽を出した者だっていう証明は紙きれでされるし



一方で、あなたがだれなのかは紙切れ一枚しか保証してくれない









 

イスラム国のあり方は実はもっともっとも新しいし、いまの時代を見越している



種族だとか、国籍だとかそんなものじゃなくて

思想、考え方が共有できて同じビジョンを抱いている人たちが勝手に集まって世界をつくるって

なかなか素敵だと思う








そういうかたまりみたいなものが適当な場所に飛び込んで、いわゆる世界内存在的な生活の仕方をしてね




素晴らし