ある人が書いた論考をここで紹介したい。

彼岸と此岸 
人間と建築の間合いについての省察


1 この論考は現代の自然の中に溶けてしまったり、全く存在感を消し去った建物と古代の諸神殿建築との間に一つの線を引くことを試みた。もっとも、偉大な先人たちがモダニズムは歴史から切り離したものというふうに提唱してしまったがため、全く先が見えないという現状がある。もし、この論が全く成功してしまったら、古代、中世、近世と、歴史を逸脱しようとしたモダニズムとそれ以降の諸様式がある一つの通徹した概念のもと時に静かに、時には大声で吠えながら踊り狂っていただけだったことが示されることになる。建築との間合いの取り方(距離、いわゆるメディア)が建築の形態に影響し、利用されていた事実を示しながら、一切が五里霧中の現代建築の行く先を導きたい。




2 ユングが著した「自我と無意識」という本がある。この本の題名は自我と無意識とあり、言葉通り自我、と、無意識とのあいだを明確に定義しようとしたユング心理学の入門書であることは広く知られている。デカルトの言葉の、「我思うゆえに我あり」はまさにこの自我が存在する故に我は存在するのだということを教えてくれる。しかし、鷲田清一が語るように、ペン先から滲み出るような自我の存在も認めまいわけにはいかない。往々にして想像通りにペン先をうまいこと操縦することなどできないだろう。意識的に何かを描き出そうとしても、そこにはぬぐい難い手癖があり、無意識が存在している。そうであるから、自我と無意識は共存しているし、それらは状況によってお互いの距離を推し量り、近接する。ただここではAとBの関係ではあるが、AとBは個別に切り離せるものではないことを注意してもらいたい。


 厳密にいえば、自我と無意識が個別に存在する概念でないのと同じように、人間と建築という概念は個別に存在しなかった。自我と無意識が身体を媒体にしているように、人間と建築は身体を媒体にして互いの距離を決定づける。


 さてここでまた話を哲学に戻すと、初期ルネッサンスの哲学者のクザーヌスはこう言ったことを思い出して欲しい。「神は超越的存在であり、極大でもある一方で極小的存在である。(意訳)」、これは極大と極小の一致、反対の一致の存在を言っている。この奇妙な話は地と図の関係に置き換えると非常に理解しやすくなる。意識の極小を白い地とし、意識の極大を黒い図とすると、いずれも同一の輪郭を指し示すことが明らかになるだろう。このことはユングの精神病の患者の例を取っても同じことが言える。ユングは、無意識を意識化し、同化していく過程において、見苦しいほど高揚した自己意識を抱いてしまう人々が多い、と指摘する。彼らにはふた通りのタイプがあり、一方では無意識に関して医師よりも知っているという驕った態度を取る人たち、一方でそれとは逆に、意気沮喪してしまう人々である。意気沮喪してしまうような人々は、無意識の内容に圧倒されることにより自我感情が弱まっていくのである。クザーヌスに遅れること3世紀、アドラーはこの事例と神とが類似していると指摘していて、ユングはその指摘を認めている。極大と極小の一致の現象がここにも認められる。


 他分野の性質を建築に持ち込むことは本来的意味において危険を伴うことはよく知られているが、この性質は建築にも認められないだろうか。自我と無意識≒人間と建築という仮説を立ててみる。




3 さて、こういった経験はないだろうか、建築の全てが何かに埋まってしまい、自分の位置と外の位置が関係付けられない、一切が外との関係から切り離されてしまった時だ。この例は、主に建築の内部で認められる事象ではあるが、実はこのような認知論が、建築の表皮を貫通して内外に振動していたのだ。逆の例はマンハッタンに認められる事象である。ここでは摩天楼に接して歩道があるため、なかなか意識的に見上げないと目的の建築を通り過ぎてしまう。建築と人間が近接した時に見られる不可視という事象だが、ここが面白いのが、遠く、ある程度高さある場所から観覧すればすべての建築を認識できるという両義性にある。この引き裂かれた認知論とはいかなるものなのか。この認知論を「人間と建築 距離論」と呼び、そこにある間合い(メディア)(媒体の作用と採用)を建築の通史を通して証明したい。





4 先に示したように、建築の共有する最たる問題は距離である。すべてを網羅することは紙面の制約上かなわないので、ここではあらゆる時代の傑作を例に説明したい。


 古代エジプトから古代ギリシャの建築は、民衆のものではなかった。そうであるから、神殿はしばしば人の住まない場所に、その完璧な形態を誇示するかのように焦ったいくらいの長いアプローチを持つ。建築と人間との距離が十二分に取られていた時代である。この時代の最高傑作、ギリシャパルテノン神殿は、入り口であるプロピュライアから45°振られて配置され、そこからは側面側の列柱がスクリーンに見えるように工夫されている。これ以上ここで詳しい説明をすることは避けるが、内部で礼拝する空間はなく、外に祭壇が設けられていたことからこの建築は外部からの、人から遠い距離の建築だと言える。
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 古代ローマ時代と聞くとパンテオンを思い出す人は多いだろう。前庭の中央にオベリスクが鎮座してて外観の視線を遮る。ポルティコが超スケールで配置され、内部に内接する43.8mの球の空間に人々は圧倒される。ある程度遠くから認知できるがオベリスクが箍をはめるように接近を余儀なくされる。実用を旨とする公共建築が数多く建てられたこの時代は古代ギリシャと比べると内部空間の装飾やゾーニングが巧みである。
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 初期キリスト建築、ビザンチン建築をピークに主題は内部へと移り、キリスト教にふさわしい内部空間をバシリカと集中堂式を合成したものに求めた。その後は、プレロマネスクのル・トルネ修道院を参照すれば明らかであるが、一度内部に意識が集中し、建築は自然の中へと調和するように溶けていく。そして、これの酒蔵に川が貫入していていることも示唆に富む。これは全く自然の中にあり、長らく発見されなかった廃墟であったが、古代とは対照的に接近しなければ、いや、内部に入らなければ把握しえなかった。人里から離れた山奥のさらに奥の谷間に建築されたそれは、発見された当初、周りには覆い隠すように樹木が茂っていた。
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 ゴシック以降の中世には建築が街の中に出現する、カテドラルである。ゴシック建築の王、アミアン大聖堂はその眼前にその高さと等しいほどの広場を備えている。フライングバットレスは、構造体を外部に転嫁し、内皮が全くのカーテンウォールになっており、ありあまる水のような光が注いでいる。束ね柱は尖塔ヴォールドの頂点まで連続しており、森林の中にいるような錯覚を与える。ゴート族らを懐柔するために、彼らの森の神話をキリスト教にすり替えたのはいうまでもない。尖塔により輪郭はよどみ、外形線を持たない建築と呼ばれている。ここでも尚内部が孤立し、内部に入らない限りその異様な空間を体験できないが、街のアイコンとしての西側正面ファサードの広場が視線を外側に引っ張り出そうとしている。しかし、司教座聖堂(カテドラル)として、街のアイコンを提示する以上に大きな意味はないままにとどまっている。
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 ルネサンスマニエリスムは表皮に集中した輝かしい時代である。スケールを変えたペデイメントを重層させ、同一面の中のはるか遠くにもう一つのファサードが存在させ、浅さの中に深さを与えることをしている。同じことは角柱と円柱の採用のされ方にも現れ、深さを出したい場合には円柱、浅さを出したいときは角柱をつけ柱として使った。その代わりに、リブは忘却され、内部は簡素にまとめられ、意識は一気に外部に集中する。外観は非常なマッシブな操作が行われ、サンタンドレア教会堂の端部のマッスなジャイアントオーダーの角柱はこの時代に現れた。この時代は動乱の時代で、フランス軍によりローマが陥落し、危機感を抱いたカトリックが己の権威を表徴するための建築を纏おうとした背景がある。
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 優雅に波立つ凹凸のコニースが張り出す。そのリズムが交互にスタックされたバロックは引き裂かれた認知論を体現している。その点で、サンティーヴォ・アッラ・サピエンツァ教会はこの時代の最高傑作であろう。サンカルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂は鉛直方向に三段階、違う光の入れ方をし、精緻な天井装飾によって彼岸を体現した。ここでは違うリズムで鉛直方向に奏でて彼岸を作ったが、水平方向の引裂きはファサードに貫通する4本の柱によって箍をはめられたように引きとめられている。それが、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会で貫通する柱を突き破ってGLフロアが街に突き出し、街を劇場化し、サンティーヴォ・アッラ・サピエンツァ教会で弦のように内部方向に思いっきり反動として貫入し中庭を作った。とりあえず鉛直方向は内部的操作、水平方向は外部的操作と分類できるが、内部と外部の乖離は著しい。建築史家はしばしばファサードの装飾的オーダーをバロック的であると評価するがバロックの内部も見逃せるものではないのだ。引き裂かれた認知論的建築とはいえ、この後すぐに栄える風景画のように、空気遠近法的揺さぶりは概して間合いが取られている状況を示しているし、さしずめ古代ローマのようである。精緻な幾何学的法則の中にわずかな人間性、微動性があるギリシャルネサンスが引き継いでいたとすれば、バロック古代ローマのように巧みに人間を揺さぶる劇的建築であろう。ここに時代の反復が見られる。
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 その流れをロココ新古典主義は分担し、対極の極点にまで進む。内装に徹する王宮建築、自然と対話しながら、景色を取り込み、モニュメンタリティーを誇示するように距離をとって現前する巨大建築。まるでひと里離れた、しかし、超接近的な初期キリスト建築のようではないだろうか?
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5 皮肉にも、歴史から脱却するスローガンを掲げた近代は幾何学的なマッス….オブジェクトを強調するために古代と同じ手法を用い、長いアプローチから姿を誇示し、ピロティーで持ち上げ、オブジェクトを強調したり、基壇を密かに引用しその上のマッスを意識させた。それは、建築を商品にする使命を果たすのに必要な表現だったのだ。(言葉通り、建築を流通可能な商品にするためには土地から切り離し、純粋形態を表現する必要があった。)実にルネッサンス的である。
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 ポストモダニズムマニエリスム的で、そのオブジェクトを解体しようと試み、あらゆる象徴、記号を引用し、純粋形態からカオスに展開しようと試みたが、ある問題に行き着いた。それこそが距離である。イオニア式の柱頭や装飾、象徴をバラバラに撒いたところで、視線はそれぞれの要素に惹きつけられ、そこがオブジェクトとして成立してしまう矛盾を孕んでしまうのだ。
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 戦後ある程度の休息の後、急激に内部に意識が手繰り寄せられる。隈研吾の、亀老山展望台は姿を消す建築の明確なビジョンを示し、安藤忠雄地中美術館、などの現代建築の傑作へと続いていく。ポストモダニズムの終焉を契機に、良質な建築は一気に人間へと急接近した。民主的な雰囲気は建築に内部を欲するのだろうか。よく言われる圧迫感のない人に優しい建築はこのことを指している。しかし、造形を誇示する建築も一方ではあり、この混沌とした状況がバロック的であると評するのはいささか単純すぎではないだろうか?
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 しかし、近年再び世界情勢の不安感がトランプを代表にしたナショナリズムを引き起こした。キリスト教イスラム教世界観の避け難い衝突で、世界中が見えない動乱に巻き込まれている。ランドスケープと象徴性、アクテビティーとミニマムなインテリア。まさに二つの潮流が現代を占めているではないか….